「玄関」という言葉には、どのような意味があるのか。この言葉は、鎌倉時代に導入された禅宗と密接な関係があるといわれている。「玄」とは「幽玄」といった奥ゆかしき言葉を連想するし、「関」は「関門」などに象徴される境を示す言葉である。『広辞苑』では「玄妙な道に入る関門」とし、禅門に入ることを意味していると記されている。それは、現世という俗なる世界から仏の世界へ至るための結界という意味であり、まさしく、住まいという家族の場と家族以外の外の世界との境を示すものである。
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こうした言葉が、住まいの名称として導入されたのは、当時の為政者であった武士が、寝殿造という貴族の住まいとは異なった独自の住まいの形式を模索するなかで、禅宗文化の影響を強く受けたからである。一般に武士階級の生み出した住まいの形式は書院造と称されているが、鎌倉・室町のいわゆる中世においては主殿造と称される形式が生まれ、それが更に発展して書院造となった。この主殿造では、それまでの家具的な畳が部屋全体に敷き詰められ、あるいは、部屋の境には引き違いの建具が使用され始めた。また、書院造の象徴としての座敷飾の各要素である床の間、違い棚、附け書院といったものが用途に応じて各部屋に造り付けとなって出現していた。たとえば、床の間は、仏画を飾る場所が、違い棚は書物や硯、さらには筆といったものを置く棚が、そして、附け書院は出文机と称された手紙を書いたり写経をしたりするための机が、それぞれ造り付けになうて固定化されたものである。これらはすべて禅宗の僧侶たちが実際の生活で使用していたものであり、お坊さんの日常生活の場がそのまま武士の住まいに取り入れられたのである。このように、鎌倉時代以降の武士住宅はその形成過程において禅宗文化の影響を強く受けていた。そういうなかで、「玄関」も住まいの出入り口の場の名称として取り入れられた。そして、「玄関」は、武士の独自の身分制社会を維持するためにつくられた接客・対面という行為を重視する考え方と強く結びつき、格式を表わす場として定着したのである。