対戦相手だったアメ公の家とはああいう具合になっていたのか、と目覚めは早く、あまりにも情ない我が家を見渡し、せめて飯を食うところと寝るところくらいは別けるべえ、ということで食寝分離が行われたのである。これは当時の日本としては革命的だったというのだから、情ない限りだがひとつの前進ではある。このとき、食と寝を別け隔てたのが衝立であり、その延長線上に障子があり襖というものもあった。これらは文字通り、間を仕切っただけの問仕切りである。
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だから音は筒抜けである。そういう空間で子どもがたくさん出来ちゃったのはちょっと不思議といえば不思議な気もするのだが、殿と奥はとにかく頑張った。はっきり言うと、夫婦の生活が家族の核になるくらいの思い入れがある。そしてプライベートを突き詰めると、防音が欠かせず、気密性があり、完全に密室にすると今度は換気という問題にぶち当たる、という塩梅で、マルクスがのたまったごとく、矛盾は物事を発展させ、ひとつのこだわりはどんどんと進化するのである。